天文十四年(一五四五)、近江小谷城主浅井久政の嫡男として生まれる。十六才のとき野良田合戦で初陣し、六角氏に勝利する。元亀元年(一五七〇)六月、妻の兄織田信長と姉川で激戦し(姉川合戦)、少ない兵力でもって織田軍十三段の備えのうち十一段までを突破したが、援軍の朝倉軍が徳川軍に敗北したので、浅井軍も敗走を余儀なくされた。ついで同年九月、朝倉軍とともに比叡山に陣取って森可成や織田信治らを撃破、入京をうかがう勢いを示して、信長を窮地に陥れた(志賀の陣)。しかし、天正元年(一五七三)八月には朝倉氏が滅亡して孤立。九月一日にはお市と三姉妹を城外へ逃がして自刃した。二九才であった。
史跡小谷城趾(長浜市小谷郡上町ほか)
長政の祖父亮政が大永五年(一五二五)までに築城し、浅井氏三代の居城として北近江支配の拠点城郭として機能した。城跡からは浅井氏の領国が一望できる。わけても琵琶湖にうかぶ竹生島の風景は有名である。山麓の小谷城戦国資料館では、小谷城や浅井氏について知ることができる。