永禄三年(一五六〇)、近江国坂田郡石田村(長浜市石田町)で石田正継の三男として生まれた。長浜城主時代の秀吉に見出されて家臣となり、有能な官僚として豊臣政権を支えた。三二才で近江佐和山城の城代、四年後には同城主となる。慶長五年(一六〇〇)年の関ヶ原合戦時は四一才で、西軍を主導して敗北。再起をはかって伊香郡木之本古橋村(長浜市木之本町古橋)へ逃走するが、東軍の田中吉政に捕縛され、京都六条河原で生涯を閉じた。
兄(現・支部長)である山本修次が選手を目指していたことがきっかけでこの道に進む。初出走が1995年(平成7年)5月で、1998年(平成10年)9月に初優勝を飾っている。滋賀支部で一番熱心にペラに取り組んでいるといわれ、「びわこ新鋭王座」で優勝した同期の原田幸哉は初日の挨拶で、「山本光雄選手からびわこスペシャルのペラをもらった」と発言したほど。面倒見が良く、温かな人間性を慕う人は選手だけでなく周囲には多い。同期には横西奏恵のほか、瓜生正義や原田幸哉、魚谷智之といったSG常連メンバーがいる。
1972年(昭和47年)2月11日生まれ
養成76期/登録番号3761
あっせんスケジュールへ
ゆかりの地 佐和山城跡(彦根市古沢町ほか)

近江の南北境界にあって、三成には過ぎた天下の名城とうたわれた。天守のあった山頂からは伊吹山、琵琶湖、そして三成が生まれた湖北の地も一望することができる。ここからの景色はきっと三成も見たはず。

【アクセス】
JR琵琶湖線「彦根駅」から登山口まで徒歩二五分