永禄三年(一五六〇)、近江国坂田郡石田村(長浜市石田町)で石田正継の三男として生まれた。長浜城主時代の秀吉に見出されて家臣となり、有能な官僚として豊臣政権を支えた。三二才で近江佐和山城の城代、四年後には同城主となる。慶長五年(一六〇〇)年の関ヶ原合戦時は四一才で、西軍を主導して敗北。再起をはかって伊香郡木之本古橋村(長浜市木之本町古橋)へ逃走するが、東軍の田中吉政に捕縛され、京都六条河原で生涯を閉じた。
佐和山城跡(彦根市古沢町ほか)
近江の南北境界にあって、三成には過ぎた天下の名城とうたわれた。天守のあった山頂からは伊吹山、琵琶湖、そして三成が生まれた湖北の地も一望することができる。ここからの景色はきっと三成も見たはず。