永禄十年(一五六七)、出羽国(山形県)米沢城で生まれた。二三才のとき、会津の葦名氏を滅ぼして、全国屈指の大領国を築き上げたが、ほどなく豊臣秀吉に屈服した。天下分け目の関ヶ原合戦時は三四才で、出羽で直江兼続率いる上杉軍と対峙し、四九才のときの大阪夏の陣では真田幸村と刃を交えた。遅れてきた戦国武将として秀吉・家康という英傑の間で成長を遂げ、六二万石の大大名となった。寛永十三年(一六三六)病没。七〇才であった。
1992年(平成4年)5月、びわこのデビュー戦でいきなり水神祭をあげるなど華々しいスタートを切った。およそ5年4カ月後の1997年(平成9年)8月、徳山で初優勝を飾っている。滋賀のリーダーとして、若手を熱血指導で鍛え上げる情熱家。テレビ取材を受けた折、クルーが忘れていった手帳を丁寧に梱包して送るなど細やかな優しさの持ち主ながら、送り状の品名に『忘れもの』と書いたこともある。コースを貪欲に取りにいくことも多く、勝負へのこだわりを随所に見せる。夏季よりも冬季に好成績を残す傾向がある。言わずと知れた92期・登録番号4218吉川喜継の兄でもあり、さらなる飛躍が期待される。狙うは記念(G)初優勝。
1973年(昭和48年)1月29日生まれ
養成70期/登録番号3582
養成70期/登録番号3582
徳昌寺・鹽竃神社(東近江市上羽田町)
伊達政宗は近江国蒲生・野洲両郡で一万石を領した。東近江市上羽田町には仙台藩陣屋がおかれたから、伊達家にかかわる旧跡がある。徳昌寺は近江における伊達家の菩提寺的な存在であり、鹽竃神社は陣屋の鎮守として陸奥国一宮の鹽竃神社(宮城県塩竃市)から勧請された。