弘治二年(一五五六)、近江国犬上郡藤堂村(甲良町在士)で藤堂虎高の次男として生まれる。小谷城主浅井長政に仕え、十五才のときの姉川合戦で初陣を果たす。浅井氏滅亡後は、秀吉の弟秀長に仕えて各地を転戦し、次第に頭角をあらわした。関ヶ原合戦時は四五才で、東軍に属して西軍の大谷吉継と死闘を演じている。戦後、その軍功によって伊予(愛媛県)宇和島城八万石から伊予今治二〇万石、ついで伊勢(三重県)津城二二万石に加増、また十五年後の大阪陣でも活躍して三二万石に加増された。寛永七年(一六三〇)七五才の天寿をまっとうした。
初出走が2003年(平成15年)5月びわこ。2008年(平成20年)2月、徳山の新鋭リーグで初優勝を飾る。登録番号3582吉川昭男を兄に持ち、兄の背中を見てレーサーになった。周囲が心配するほど厳しく指導する兄に必死にくらいつき、一流レーサーの仲間入りを果たした根性の人である。2010年前期適用勝率は6.14。選考期間期末の10月26日、びわこ57周年・びわこ大賞の5日目に追加あっせんで参戦。勝率を下げる可能性が高いなか、記念選手に挑戦する姿勢に徹した。結果はA2となったが、その敢闘精神と前向きな考え方は高く評価できる。レースは、若者らしく握って攻めるスタイル。同期に新鋭チャンプの毒島誠、安達裕樹、大峯豊らがいる。
1981年(昭和56年)8月24日生まれ
養成92期/登録番号4218
養成92期/登録番号4218
八幡神社・高虎公園(甲良町在士)
八幡神社は藤樹で知られる。毎年五月に行われる藤切祭では、花枝を切って桐箱に収め、現在も藤堂家に贈る習慣がある。この藤樹は古くから有名で、八幡神社はもとは藤堂の社と称したことから、この村も藤堂と呼ばれたという。神社隣接の高虎公園には高虎の騎馬像がある。