永禄十二年(一五六九)、小谷城主浅井長政の長女として生まれた。母は織田信長の妹の市。孤児となった十五才のとき、仇ともいえる秀吉のもとに引き取られ、しばらくしてその男児を生むこととなる。しかし、秀吉はわずか六才の嫡子秀頼を残して他界。豊臣家は老獪な徳川家康によって次第に追いつめられていく。そして、慶長二〇年(一六一五)、豊臣家が滅亡した大阪夏の陣では、茶々自らが甲冑を身にまとい、侍女にも武具を帯びさせて、男勝りの活躍を見せたと伝える。戦国女性として生き抜いた四六年の生涯であった。
初出走が1997年(平成9年)5月。2005年(平成17年)8月、約8年3カ月あまりの歳月を経て初優勝を飾る。2011年4月1日より滋賀支部に移籍。2008年(平成20年)3月、津ボートで開催された第21回女子王座決定戦で優勝戦5着。また、大のパチスロ好きとしても有名で、横西奏恵、細川裕子らとも仲が良い。レースは、握って旋回するスタイル。決まった時の豪快さは圧巻。波乱を引き起こすとしたら、この人が起点となる存在。精神的に勝負師向きである。
1977年(昭和52年)1月8日生まれ
養成80期/登録番号3900
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ゆかりの地 石山寺(大津市石山寺一丁目)

石山寺の本堂や東大門、また、法輪院、宝性院などの塔頭は、茶々の寄進によって整備、復興された。慶長二年(一五九七)にはじまる大修理のときのことである。現在、私たちが目にする石山寺の姿は、茶々の寄進によって成立したと言っても過言ではない。

【アクセス】
京阪電鉄「石山寺駅」から徒歩一〇分