天文三年(一五三四)、織田信秀の嫡男として尾張(愛知県)で生まれる。父の急死によって十八才で家督を継ぎ、二六才のとき尾張を統一、翌年には今川義元を桶狭間合戦に破って新興勢力として台頭した。そして三五才で上洛を果たすと、いくたびかの反逆、謀反にあいながらも破竹の勢いで諸国を統一していった。天正十年(一五八二)六月、甲斐の武田氏を滅ぼして天下統一を目前にしたとき、本能寺変で明智光秀の謀反によって四九才の生涯を閉じた。
特別史跡安土城趾(近江八幡市安土町下豊浦ほか)
天正四年(一五七六)、四三才の信長は、物流の大動脈であった湖上交通に注目し、天下統一の拠点として琵琶湖畔に大城郭を築いた。安土城がそれであり、天主と高石垣をもった最初の城として、これ以降の城つくりのモデルとなった。城郭の近傍には、滋賀県立安土城考古博物館や安土城天主「信長の館」があり、スペイン、セビリア万博へ出展された原寸大復元の安土城天主などを見ることができる。