永禄四年(一五六一)、井伊直親の嫡男として遠江国(静岡県)に生まれた。幼くして今川氏真に父を殺されて所領を失ったが、十五才で徳川家康に見出されて重臣として活躍した。関ヶ原合戦時は四〇才で、家康本軍に随行して東軍指揮の中心的存在となり、先鋒の福島正則を抜け駆けして激烈に戦った。この軍功により、石田三成の旧領近江佐和山城を与えられ、現在の彦根市の発展の礎を築くが、関ヶ原で受けた鉄砲傷が悪化して四二才で没した。







直政没後の慶長九年(一六〇四)、西国大名の押さえとして天下普請に準じて築城された。金亀山頂の天守は国宝、それを囲むいくつもの櫓は重要文化財、庭園である玄宮楽々園は名勝である。山麓にある彦根城博物館は、彦根藩の政庁であった表御殿を復元し、井伊家伝来の品々を中心に展示している。