天文六年(一五三七)、尾張国(愛知県)で生まれた。織田信長に仕えて次第に頭角をあらわし、三七才ではじめて大名になった。そして本能寺変後、明智光秀を山崎合戦で討ち果たし、四七才のとき、賤ヶ岳合戦で柴田勝家を滅ぼして、信長の後継者としての地位を不動にした。ついで、四国、九州、関東、奥州を平定し、五四才で天下統一を果たすと、今度は唐入り(中国大陸への侵攻)を目指したが、朝鮮出兵中の慶長三年(一五九八)に伏見城で没した。六二才。
初出走は1992年(平成4年)11月、びわこ。いきなり3連勝で度胆を抜くデビューを果たし、優勝戦進出。6着に敗れはしたものの存在感を示した。2008年10月には蒲郡ボートで1000勝を達成し、「なんの取り柄もない選手ですが、やっと1000勝することができました。ファンの皆様のおかげです。これからも応援よろしくお願いします。」と謙虚で控えめなコメントを残す。その謙虚で控えめな姿勢とは裏腹に、自分から仕掛けて攻めていく攻撃的なレースが多く、そのギャップが魅力のレーサーでもある。同期に山崎智也や角谷健吾などがいる。
1971年(昭和46年)12月6日生まれ
養成71期/登録番号3606
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ゆかりの地 長浜城趾(長浜市公園町)

天正元年(一五七三)、秀吉は浅井攻めの戦功によって小谷城を与えられると、湖上交通をにらんで、すぐさま湖岸の今浜に築城をはじめた。そして今浜を長浜と改めて居城を移し、ここから各地に出陣していった。長浜城はのちに天下人となる秀吉のまさに出世の城であった。天守跡の近傍には「昭和新城」として長浜城天守が復元され、長浜城歴史博物館として公開されている。

【アクセス】
JR北陸本線「長浜駅」から徒歩五分