天文六年(一五三七)、尾張国(愛知県)で生まれた。織田信長に仕えて次第に頭角をあらわし、三七才ではじめて大名になった。そして本能寺変後、明智光秀を山崎合戦で討ち果たし、四七才のとき、賤ヶ岳合戦で柴田勝家を滅ぼして、信長の後継者としての地位を不動にした。ついで、四国、九州、関東、奥州を平定し、五四才で天下統一を果たすと、今度は唐入り(中国大陸への侵攻)を目指したが、朝鮮出兵中の慶長三年(一五九八)に伏見城で没した。六二才。
長浜城趾(長浜市公園町)
天正元年(一五七三)、秀吉は浅井攻めの戦功によって小谷城を与えられると、湖上交通をにらんで、すぐさま湖岸の今浜に築城をはじめた。そして今浜を長浜と改めて居城を移し、ここから各地に出陣していった。長浜城はのちに天下人となる秀吉のまさに出世の城であった。天守跡の近傍には「昭和新城」として長浜城天守が復元され、長浜城歴史博物館として公開されている。